杜の都日記

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カテゴリ:平成元禄時代( 4 )


2005年 11月 17日

平成元禄時代・・・越中出張編 第4話

e0088639_23434559.jpg
奉行の陸奥藩「佐渡坂井之守」と
蝦夷藩の「羆龍之介」そして
「月輪熊幸エ門」の3人で越中での
会議に出席することとなった。

目指すは,越中富山城である。
任務は,九州,四国,関西の奉行と
の打合わせである。

さて,富山城に着いた時の
我々3名の風貌を紹介する。

奉行・・・「佐渡坂井之守」
前日,目を痛め眼帯をしてきた。背は低いが「小太り」で目はパッチリしているが
悪く言えば「ギョロッ」としている。色はちょっと黒い・・・ブルドッグに似ている

与力・・・「羆龍之介」
いつものように「ダブル」の背広,ちょっと外又に歩く,髪は「五分刈」一見「ヤクザ風

与力・・・「月輪熊幸エ門」
「ダブル」の背広,ちょっと太り気味,髪は「やや薄め」で3人の中では「一番善人風

さて,城内の会議室に向かうべく,先頭に「片目のブルドック」,右に羆(ヒグマ)」,
左に月輪熊(ツキノワグマ)」が寄り添って進んでいく。
広いロビーの中央に机があり,警備員が一名,椅子に座っていた。

我々3名がその脇を抜けて進むと,突然「ガタッ」という音とともに,警備員が「顔色を変え
直立した。 そして何か,言いたげな顔をしていた。
我々はそれを「無視」して会場に入っていった。

そして無事に会議も済み,宿場へと足を進めた。
宿で就寝する時,奉行が言った。

ブルドック :「おい,昼の警備員の態度おかしくなかったか?」
         「誰かと間違われたんじゃないか」
ツキノワグマ :「でしょうね」「間違われてますよ」
ヒグマ   :「やっばりそう感じたか」「俺も間違われたと思った」・・・(お前が一番ヤバイ)

「ヤクザの総会屋の親分が,子分を2人連れて,会社へ乗り込んで来た」
大爆笑
・・・・・・・・・釧路の友よ忘れたとは言わせません・・・・・・
                                        残業編へ続く
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by mebaru-oyaji | 2005-11-17 00:30 | 平成元禄時代
2005年 11月 08日

平成元禄時代・・・・・細君「友の方」・・・・の章 第3話

e0088639_137775.jpg久しぶりに釧路の友との思い出を
語りたい。

ここで初めて姓名を紹介する。

彼の名は「羆(ヒグマ)龍之介
蝦夷藩出身である。

私は,「月輪熊(ツキノワグマ)幸エ門
陸奥藩の出身である。


この話は龍之介との出会ってから後半の話であるが,彼の「細君」の紹介を
いたしたく,早めに持ってきた次第である。


「友の方」・・・・の章
頑強」な体を持つ龍之介であったが,日頃の無理がたたり,緊急に「御茶ノ水の療養所」へ
入院する事となった。 原因は「胆石」であった。これには,一同「唖然」とした・・・・
殺しても死なない「あの男」が・・・・・・
とは言え,人間であったことを再確認する与力一同であった。

入院後,職場へ「羆の細君・・・友の方 」が挨拶に見えられた。

友の方:「主人が大変ご迷惑をお掛けしまして」・・・楚々とした上品な方であった。

与力一同:「オイオイ,嘘だろ・・羆のカミサンはちょつとふっくらした河合奈保子に似てるジャン
       と想った。(俺だけか?

勿論,「友の方」が帰った後,屋敷内では羆(ヒグマ)」がなんであんな美人をという話題に終始したのは言うまでもない。

ところが,ここで「デリカシー」という言葉を知らない男が登場する。(職場には必ず1名はいる)

その名を江戸藩の「白髪頭(シラガアタマ)草柳之丞(クサヤナギノジョウ)」である。

彼いわく「河合奈保子というよりも「松原のぶえ」という感じ!」

この時,私は江戸出身者の辞書には「デリカシー」という言葉が「無い 」と確信したことを
覚えている。
                             この章 終わり・・・「越中出張編へ続く」
 
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by mebaru-oyaji | 2005-11-08 15:24 | 平成元禄時代
2005年 10月 13日

平成元禄時代 蕨(わらび)の局編)・・第2話

e0088639_20205350.jpg江戸上屋敷でのお勤めは月始めは特に
多忙を極めた。

口うるさい,筆頭与力(陸奥藩)は,
各藩の代表者が集まる評定の
報告書の作成をとにかく急がせた。

信濃藩筆頭与力の差配の元,我々は実直に
勤めに励み,それは深夜におよぶこともあった。
そんな時の唯一の楽しみが夕食であった。

それを手配するのは,奥向きの差配を
(来客時のお茶の接待のみ)一手に
引き受ける蕨(わらび)の局であった。

この人物,徳川家家来で江戸上屋敷での
勤めは長く,若かりし頃は「千代田小町」と言われる程の美貌の持ち主だったという
伝説があった。
「徳川本家」「陸奥藩」「蝦夷藩」の重臣達も「一目おく存在」であったのは紛れも
無い事実である。 しかし,この頃は時々居眠りをする齢(よわい)60歳超えたお局であった。

こっそり聞いた話だが,若い頃.徳川藩主にも「口説かれかかったこともあった」とのことだが
定かでない。

お局 「上屋敷から夕食が出まーす。」
    「ハ-イ 注文は 五目うどんが 4っネ」
    「私は,なにたべよっかナー そうだ鍋焼きうどん」

一同 「オイ オイ」

我々の夕食を頼む際,一段上のランクのメニューを自分の食事として頼む「チャッカリ」さ
を持っていた。 

そんなお局が亡くなられたのは,私が江戸屋敷の勤めを終えてから5年程度経ってから,
のことである。 ・・・・生涯独身であった。

「憎めない」「かわいい」「気の利かない」 いいお婆ちゃんであった。
お酒が好きで,我々の飲む場所には必ず顔を出してくれた。
「焼酎」の梅入りお湯割りが大好きだった。
つまみは,いつも我々に選んでもらい,目を細め美味しそうに食べるのが印象的だった。

「わたし,蝦夷藩のNチャン,陸奥藩Oチャンが大好き」それが口癖だった。

                     天国で飲みすぎるなよ! 蕨(わらび)のお局さま    
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by mebaru-oyaji | 2005-10-13 22:23 | 平成元禄時代
2005年 10月 09日

我が良き友よ 平成元禄時代(出会い編)・・初回

e0088639_133022.jpg(出会い編)
現在,蝦夷地の釧路で仕事をしている友との
懐かしい思い出を少し語ることにする。

初めて逢った場所は,江戸の神田神保町である。
その当時,江戸は場武流景気により平成元禄
真っ盛りであった。

彼は蝦夷藩よりの御下命により,
私は陸奥(みちのく)藩の御下命により
同じ,江戸上屋敷で働くことになった。

私より1年ほど前に,江戸詰だったこともあり,
ダブルの裃の着こなしはなかなかのものだった。

身の丈は5尺7寸(175cm)程度で私より
1寸程度高かった。
性格は豪放磊落で面倒看が良かった。
剣(仕事)は免許皆伝だが,ただ見た目はどう見ても八丁掘りの同心(刑事)その物だった。

当時の江戸上屋敷には,筆頭家老は陸奥藩より次席家老は(徳川家)より出仕していた。
筆頭与力は陸奥藩と信濃藩の2名であったが,仲はあまり良くなかった。
与力職は彼・私,そして徳川家家来と銀座藩の4名であった。
そういえば,家老直属の年寄りとして,小田原藩より出仕していた。
忘れてはいけない,奥女中として蕨(わらび)の局が取り仕切っていたことを思い出した。

登場人物を全て紹介した所で,次号の(奮闘編)へ続く・・・・・・・・
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by mebaru-oyaji | 2005-10-09 01:53 | 平成元禄時代